ケンケン・・ありがとう・・・・・・・

3月になってから、ケンケンの具合は悪くなりました。
 腹水が溜まっているのは明らかでした。
 何度も先生に聞いたけれど、
 『最後には手術しないといけないかもしれない』そう言うだけでした。
 先生はきっと言えなかったのだろうと思います。
 泣き虫な私に、手術が出来ないことなど・・・
 せめて、可能性を持ったまま看病して欲しかったのかも知れないです。


 3月6日の夜中・・・
 トイレに行きたいとケンケンは、私を起こしました。
 外に連れて行って、トイレが終わりましたが、
 ケンケンは家に入るのを拒みました。
お庭の真中で座っている。
 ハーネスで持ち上げるように抱えましたが・・・
 後ろ足に力が入らなくなっていました。 
 母を起こして、いつものようにバスタオルでタンカを作り家の中に運びました。
 ケンケンは、しばらくすると又外に出たいと言いだしました。

 朝方ケンケンを外に出したまま少し眠ってしまいました。
 かなりの睡眠不足だったからですが・・・

 
 3月7日。
 外にいたいケンケンのために、母と姉がタンカで、
 日当たりのいい場所に運んでくれていました。
 今日は、とてもお天気がよく暑すぎるほどだったのですが
 外に行きたがっていたのだそうです。
 ケンケンに日陰を作ってあげながら、撫ぜてあげていました。
 じっとしていてもつらく、かといって、腰が立たないので、
 安易に動くことも出来なかったケンケン。
 撫ぜてあげることしか出来ないけれど、少しは楽になれるような気がしました。
 外にいたいと言っていたケンケンが、やけに家の方ばかり見ています。。
 家の中に入りたいのかもしれないと思いタンカで家の中へ運びました。
 仕事で出かける前の兄と無言で見つめ合うケンケンは、兄に何かを伝えていました。
 ケンケン、何を話していたの?

 (
お別れを言っていたんだよね。)
 つらくてつらくて、どうすることも出来ないケンケンは、立ったり座ったりでした。
 急に腕の中で横になりました。少し楽になったのかな?
 そのとたん、ケンケンの力が抜けていきました。
 ケンケンの重さが私の腕にかかってきました。
 ケンケンは息を引き取ったのです。母を呼んで、二人でケンケンを看取りました。
 ケンケン、頑張ったね。
 つらかったね。
 こんなに頑張ってくれてありがとう。
 泣きました・・泣いても泣いても、涙は止まらなかったけれど。
 その時往診の先生が、泣き声を聞いて飛び込んできてくれました

 『どうした?息はしてる?』
 注射を用意してくれようとしていた先生に伝えました。『もう。。。だめです』
 そのとき先生は始めて教えてくれました。1月の手術のとき、
 その最中に心臓が止まったこと。・・・
 こんなに頑張れるとは思っていなかったこと・・・
 でも、『家族に見守られて亡くなったのだから、幸せなんだよ』と、
 言ってくださいました。
 
 先生の優しさに感謝です。
 もし退院のときに、心臓が止まったことを聞いていたら

 こんなに前向きに看病が出来なかったと思います。
 元気になる・・・・・・・
 その思いだけで頑張れたから・・・・・・・
 
 ケンケン。ありがとう。
 本当にありがとう。